個人的人生にとって大きな出来事

医者に安静と言われ、安静ってどういうことかねー、とネットで調べたりするくらい(表面的には?)元気な私、でもさすがに仕事休んでて外に出るわけも行かず(実は、注射を打つために近所の診療所へ行くのと豆の散歩で毎日外出してますが)8月の頭からだらだら読み続けていた本もこの2日で読み終え、すでに3本映画を観て、どうしたものかと日記など書いてみたりしている。
20代前半の頃は、友人が結婚する、と聞くとそれなりにちょっとしたニュースであった。相手はどうやら、結婚式がどうやら。でも、まあ、年月を重ね、20代後半を過ぎると、みなそれなりの年齢なんで、結婚、と聞いても新鮮味がなくなる。そりゃ友人が結婚する、めでたいなあ、と言う気持ちはあるが、なんと言うか、人ごとだからねえ、結婚ってやっぱり本人やその家族たちにとっては、人生のひとつの節目と言うか大きな出来事ではあるのだが、友人だとか知人だとかにとっては、自分の人生の周りで起こっているひとつの出来事に過ぎない。なので、自分が結婚する時は、(周りの人にとってはどうでもいいことでも)自分の中では大きなことだろう、と思っていたのだが、実際経験してみると、意外に「人ごと」とあまり変わらない心境で通り過ぎたのであった。
子供を生むことについても然り、多分、これこそ本人(とその家族たちにとって)の人生において、ものすごく大きな、感動的な出来事であると思うのだが、かつての「妊婦が怖い」私にとって、友人知人の出産はやっぱり「人ごと」であった。
で、長い前置きはこの辺にして、その「人ごと」が「自分こと」になってしまったのだ。つまりは、結婚して9ヶ月目にして妊娠が発覚したわけだが、これまで何人かの医者に子供を生むのは難しいと言われていただけに、あまりにすんなりとことが運ぶのはおかしい、と思いつつ、8月のあたまに初めて病院に行った。その際は心音も確認されなかったし、週齢から考えて胎芽が小さすぎるのでだめかも、と言われ、駄目ならマア、子供の生命力が弱いってことやろし、しょうがないよな、と思いつつ、一応薬やら注射やら言われるとおりやって、翌週もう一度病院へ行くと、ちゃんと育っていて、心音も確認されたのだ。となった時点で、子供を生む、と言うことが私の人生においてそれなりに大きな出来事として組み込まれた気がする。
で、今は8週目で、先週出血がひどく切迫流産と言われ、自宅安静を命じられているところなのである。今もとりあえず、流産の可能性がないわけではないし、安定期に入るまでは日記にも書かないでおこうと思っていたのだが、先日体調崩して休んで、なんて書いて、心配した友人からも連絡が入ってしまったので、とりあえずここでも報告を。いやはやそれにしても、妊婦についてあれだけこき下ろしていたこの私が妊娠日記を書くことになろうとはねえ、私自身醜い妊婦にならぬようがんばらねば。