曇り時々雨

1週間の出張が終わり、昨日ようやく大連へ戻ってきた。今回の仕事は結構重要で、失敗すると会社にとってかなりの損失になるということもあり、働き出して1年にも満たないペーペーの私一人に任せるのは厳しく、日本から品管暦10年以上のカトウさんがわざわざやってきて彼女と一緒にやることになった。彼女とはこれまでも電話やメールで頻繁にやり取りしていたのだが、一緒に仕事をするのはもちろん会うのも初めてである。で、実は私が書くクレーム報告書を毎回こてんぱんにやっつけてくれるのが彼女なのであった。いつも厳しいことを言われているだけに、今回会うのも結構怯えていたのだが、実際に会ってみると(当たり前だけど)恐れていたほど怖い人でもなく、ただただ仕事に対してとてもまじめな人なのだということがわかり、一緒に仕事をするのは非常にやり易かった。毎日中国人の同僚と一緒に仕事をしていて、それはそれで慣れたのだけどやはり日本人と一緒に仕事をするのはものすごく楽である。これは言葉の問題ではない、感性なのだ。工場長が以前「日本人を雇う理由は日本人のお客さんに対する際、どれだけ日本語が上手でもやはり日本人の感性を持った人じゃないと難しいから」と言っていたのだがそれをしみじみ実感した。
仕事のほうは小さなミスはあったが、なんとか成功した。先週1週間は準備、今週1週間はお客さんを迎えて本番、昼間は緊張しっぱなし、夜は夜で毎晩私の大嫌いな接待が続き、否応がなしに酒を飲まされ(女子に白酒を一気させるな!!!)ホテルの部屋に戻った瞬間緊張の糸が切れて床に倒れたり(ベッドまで持たない)一晩中吐き気に苦しんだり、血尿が出たりして、私はつくづくと、キャリアウーマンなどにはなれない人間なのだと実感したのであった。私は専業主婦志向は無く仕事は健康な限り一生続けたいと考えてはいるのだが、生活や健康を犠牲にして働くということには全く賛同出来ない。お金持ちにならなくてもいいし、有名にならなくてもいいし、何かすごいことを成し遂げなくてもいいからただ、楽しく一生懸命仕事をしてお金を稼ぎ、好きな本を読んだり、音楽を聴いたり、ジョギングしたり自分の好きなことが出来る時間と生活水準を保って、バランスの取れたほどほどの人生を送りたいと思う。
年をとると言うのは自分を知ることなのだろう。若い時に多くの人が極端に自意識過剰であったり、自分を卑下したりするのは、自分を客観的に見ることが出来ず、自分を知らないからで、それが悪いということではない。ただいい年してまだ自分を知らないでいるのはやはりみっともないと感じる。と、言うのは実は最近一緒に食事をした人が、強烈に自己主張するとんでもなくみっともない人だったのだ。(俺は頭いいんだ、気前がいいんだ、いろんなこと知ってるんだ、若いころかなりいけてたんだ云々を言葉の端々に感じさせる)自分自身若い時はそうやって一生懸命自分を主張しようとしていた時はあっただろうし、今、周りの若い子がそうであっても特に何とも思わないのだが、いい年した大人がそうであると本当に人を不愉快にさせること極まりなしである。彼を嫌っている人が多いのは知っていたが、私自身これまであまり喋ったこと無かったのでそれ程嫌だと感じたことは無かったが、本当に、正真正銘の嫌な人だったのだ!!いやはや、自分も気をつけねばと思わせていただくことが出来非常に良かった。たまには嫌な人と話すのも悪くない。