曇り

モリ君のお父様が亡くなった。今年の3月に末期の胃癌であることがわかり、4月に2度吐血して危篤状態になったものの、5月に退院してから最近はちょっと持ち直して、食事も出来るし、家の周りを散歩したりしている、と聞いていたので、唐突と言えば唐突であった。病気は人力でどうにもできないのでしょうがないのだが、やはり残念に思う。ちなみに、どうして末期になるまでわからなかったのか、と言えば、原因は2つある。1つ目は中国の定期健康診断の体制にある。日本は、フツウに会社で仕事をしていれば必ず年に一度は定期健康診断があるし、人間ドッグやら成人病検診やらで、病気を早期発見出来る環境にある。が、こちらは会社で定期健康診断、と言ってもかなり簡単なものだし、全くない会社も多い様だ。そう言う事もあり、現在も癌の死因率はかなり高い。(昨年会社の女性の旦那さんが無くなったが、これも癌が原因)2つ目は、モリ君のお父様は若い頃胃潰瘍を患って、何度か再発しており、仕事が忙しい時等、胃が痛くても薬を飲むだけでわざわざ病院に行かなかったと言うのだ。胃潰瘍の原因のひとつであるピロリ菌が原因で、胃癌を誘発すると言うのは聞いた事があるが、現在日本ではちょっと詰めて治療すれば、胃潰瘍も完治できるのだ。何はともあれ、この国の医療体制、技術ともにまだまだ遅れているのだと実感した。
3日に危篤の連絡を受け、前回2度の危篤状態とは異なり、今度はほんまにあかん、と言う事で、急ぎ飛行機で向かうことにした。と言っても、ジャムスまでの直通は無く(1、2年前まではあったらしいが、廃線となった)まずハルピンまで行き、そこから汽車に乗り換えて行くので13時に大連を出て、夜遅くに着く事になる。直通の汽車で行くと20時間かかり、明日の午後になってしまうのだ。11時半頃モリ君から私の職場に電話があり、駅前の切符売場で13時発の飛行機の切符を買うから、私は直接飛行場へ行って待ってろとお達しがあった。そして、12時頃モリ君から再度電話があり「あかん、カード間違えて持って来てもうた、お金足りひんくて切符買えへんかった」と連絡があった。私も普段カードは持ち歩かないので、空港で買う事も出来ない。結局やはり、その日の夕方発の汽車に乗り、翌日4日の13時にジャムスに到着した。
これは後から知ったのだが、お父様は3日の午後3時頃亡くなられたので、私達が飛行機に乗る事が出来ていても、結局間に合わなかったのだ。4日は夕方斎場にて儀式が行われる。服装はそれ程派手でなければ、何を来ていても構わないが、子供世代のものは腕に「孝」と書かれた黒いキレをつけ腰に白い布を巻く。喪主であるモリ君はさらに頭にKKKのような帽子(顔は覆わないが)を被る。この日の儀式では、黄泉の国に向かう紙で出来た馬(と私は推測する)を燃やすというもの。馬には向こうでお金に困らない様に、と言う意味で金、銀、紙幣をもたせる。ここでは、紙で作った家を燃やしたりすることもあるようだ。
翌日は朝7時よりお葬式に出席する。まずは、地下からお父様の遺体を斎場まで移動させる。実は、お母様はここがお父様の姿を見る最後の場所で、その後のお葬式には出席出来ず、1人家に帰らなければならないのだ。(死者が名残惜しくなり、黄泉の国へ行けなくなるから、と私は推測する)どうしてお母様が喪主を務めないのだろう、と思っていた謎がここで解けた。遺体を斎場に移してから斎場の人が哀悼の意を読み上げる間、それぞれお別れを告げる。泣き声は大きければ大きい程、激しければ激しい程良い。これは、知っている人も多いと思うのだが、こちらでは昔(今も?)お葬式の際、専門の「泣き人」を雇っていたと言う。喪主であるモリ君の「泣き」は特に重要であり、事前に皆から「一生懸命泣きなさい!」と諭され、彼自身そんなに泣く事が出来るだろうか、非常に心配していた。
お葬式後火葬場に移る車に乗る前に、「孝」をつけた子供達は遺体の前にひざまづき叩頭し、喪主は植木鉢のような鉢を地面に思いっきり叩き付けて割り、激しく泣く。火葬後、骨を骨壺に移した後墓地へ埋葬に行くのだが、この日女性は墓地へ入ることは出来ない。(この理由はわからない、女性は不浄だということ?)その後、最後にまた紙や金、銀、偽紙幣を燃やして終了。ちなみに、この際も泣きながら「お金十分持って行きやー」と叫んでいた。
お葬式終了後は日本と同じく、皆で食事。私は午後の汽車でばたばたと大連へ戻って来たが、後は日本と同じく初七日だとか49日みたいなものがあるらしい。地域によっても違いがあると思うのだが、まあこれが伝統的なお葬式なのだろうと思う
モリ君のお父様はかなり苦労人だったようで、モリ君自身やっと孝行が出来る、と思っていたところだったのだ。親孝行したい時には親はなし、と言うのはまさにこのこと、まあ親が亡くなって「私は十分親孝行した!」と思える人なんてほとんどいないのだろうけど。かく言う私も親元を離れて異国の地に居る、と言う事自体親不孝者なのだった。