曇り夜雨

今日は旧暦の5月5日、端午の節句である。今年は口語の王老師が家に招いてくれ、皆で一緒に過ごすことになった。韓国人はチヂミ、日本人はお好み焼きとポテトサラダを作り、その他粽、餃子、先生が作った料理がテーブルいっぱいに並ぶ。
王老師は私の通う大学の本科でフランス語を教えるのを主な仕事としており、空いている時間に留学生に中国語を教えている。旦那さんも同じ大学でコンピューターを教えているとのことだが、2人の馴れ初めを聞いた。
時代は80年代に遡る。当時違う大学に通っていた2人だが、友人を介して知り合い、学生時代は親しい友達関係に過ぎなかったらしい。卒業後は国の配分制度(つまり自分で仕事を選ぶのではなく国がそれぞれ企業や機関に人材を配分する、この制度がほぼ無くなったのは90年代半ば)によって老師は大連に、旦那さんは山東省の済南に配属された。で、仕事を始めて1年目の春節、老師は故郷の山東省に帰ったのだが、そこで旦那さんに再会し、あれよあれよとつきあうことになり、そのまま旦那さんは老師の家で春節を過ごしたと言う。春節が終わった後老師はまた大連に戻ったのだが、そこから毎日手紙のやり取りをしていたらしい。そしてその年の3月のある日、老師は「明日大連に行く」と言う旦那さんからの電報を受け取った。出張かなにかだろうと思っていたところ、やってきた旦那さんが開口一番告げたのは「結婚しよう」と言う言葉で、老師も深く考えず同意しそのまま2人は届けを出しに行ったとのこと。ちなみにこの時老師はまだ旦那さんの両親に会ったことさえ無かった。その後旦那さんの移動希望が聞き届けられるまでの2年間は別居結婚生活を送っていたと言う。なんとまあ特殊な結婚なのか、と思ったのだが、こういうことは老師の時代にはそれほど珍しいことでもなかったらしい。
人の歴史をかいま見るのは本当に楽しいものだ。