癸丑/晴れ

晩、隣にある大学の講堂で上映される「ナルニア国物語」を観に行く。日本に居れば絶対観に行かなかったであろう映画だが、台詞が比較的ゆっくりで、聞き取れなくても映像で内容が大体わかる為、聞き取り勉強として観るには最適である。言うまでもなくもちろん中国語の吹き替え、字幕はなし、イスは固く、スクリーンは白い布で、なにより構内がものすごく寒いと言う難点もあるが、チケットはたったの3元(45円)である。街のきれいな映画館で観ると80元(1200円位)もするので、それに比べると破格の値段なのだ。悪くない。
最初は欧米人の顔で「再見!」なんて言うのに違和感を感じていたが、段々慣れてくる、いや慣れてくると言うより、聞き取りに必死なのでそんなことを気にしていられない。どれだけ聞き取れたかはさておき、今日の最大の収穫は「中国人の映画鑑賞」を観賞したことである。いやもう、おもしろいのなんの。
まず、誰もが大量の食べ物、飲み物を入れた袋を手にやってくる。私の周囲の人で、飲み食いしていない人はただの1人も見かけなかった。その食べ物と言うのも半端ではなく、ポップコーン、りんご、バナナ、アイスクリーム、慢頭、羊肉の串焼き、ピーナッツ、お菓子、苺、ひまわりの種(本当は、これは禁止だったらしい、散らかるから)など、上映中むしゃむしゃと食べ続ける音がやまない。いや、しかしそんな音などどうでも良いのだ、さらに困ったことに、彼らは話しながら映画を観るのである。日本の映画館で、年配の婦人達が小声でそっと話しているのとは訳が違う、フツウの話し声で、しかもひとりふたりではなく、誰もがわいわいと話している。こっちは聞き取りに必死なんだから黙っていてくれ!と思うのだが、これこそが中国流なのだ。(と後から聞いた)
外国人と一緒に映画を見ている時「笑い」の違いを感じるのは日本でも同じ事だと思うのだが、それは文化の違いで理解出来ないジョークが原因だったり、字幕を追う日本人とのずれた笑いが原因だったりする。中国人に関して言えば、そのどちらにも当てはまらない。この映画は元々爆笑するシーンなどほとんど無いのに、彼らはあらゆる所で爆笑する。と言うのは、やはりこうしたものを見慣れていないからだろう。私たちにとっては想像の範囲の映像やストーリー展開も、彼らにとっては予想外で新鮮なことの連続に違いない。街頭テレビの力道山に熱狂する戦後の日本、と言うイメージがふと頭に浮かぶ。そこに来ていた学生の多くはテレビも自分のパソコンも無い寮に住み、限られた情報や娯楽の中で暮らしている。たくさんの食べ物を持ち込み、友達と話しながら楽しむ映画は中国人にとってきっと、大きな娯楽のひとつなのだろう。
また何かおもしろそうな映画が来ればぜひ観に行きたいのだが、とりあえず暖かくなってから。