育児の合間に思う事

陽の日々の成長は嬉しくもあるが、もうちょっとこの赤ちゃん赤ちゃんした時間が続いてくれるといいなあとも思う毎日。以前は、意思疎通のできない時期と言うのはおもしろくないような気がして、早いとこ意味のある言葉を話せるくらい大きくなってほしいと思っていたのだが、どうしてどうして、「あふー」だとか「ひやっ」だとか意味不明の喃語を話す赤子のかわいいこと。コアラのようにしっかりしがみつかれたら(私は木です)もう、暑かろうが動けなかろうがその可愛さにめろめろである。
とは言え、多分、私の親ばか度は中の下程度ではないかと思う。私の母など、陽が顔を真っ赤にして泣いていると不憫で仕方ないらしく必死であやす。たまに、何をやっても(お腹はいっぱい、オムツも替えた、抱っこもしている)泣く事があり、そう言う時私は、マアしょうがない、とあっさりあきらめてしばし放っておいたりするのだが、母はそんな私が鬼母にしか見えないらしく「早く泣き止ませなさい、かわいそうに」と文句を言う。
私の常ではあるのだが、子供が本当にかわいいと思う半面、どこかそういう自分を客観的に見る自分があって、子供にのめり込むまではいかないのだな。私の人生にとって子供はもちろん大切な存在ではあるのだが、彼女は私の付属ではなく、彼女自身の人生があり、親である私の存在が与える影響も年月と共に下がっていくはずだ。私は当然親としての責任を果たさなければならないのだが、それは私と彼女の関係が偶然親子であるからであって、一個の人間としては対等な存在なのだ。冷たいと言えば冷たいのかもしれないが、マア、私は私自身の人生を考えるべきで、娘の人生がどうなるかはなるようにしかならないと思うのである。なので、ある程度の環境を提供はしてあげたいと思うが、娘の未来に対して期待と言うものはちいともない。
なんて言ってると、大きくなった娘に文句を言われるのかねえ?