撤去自転車を取りに行く。ああ、もう、これで三回目。
久世橋から二条まで上がりながらお昼ご飯を食べる店を探してうろうろしているうちに、どこかに入ってたらもう間に合わない時間になってしまったので、結局ドンクでパンを買って再び南へ下り、久しぶりのみなみ会館で「永遠のモータウン」を観る。音楽がある、人生に音楽があること、そのことに、私は泣けたのだろうか。
カンペールをおろした。やっぱり、大きいなあ。中敷が必要。
蒸し暑い、もう直き秋分だと言うのに、相変わらず真夏日が続く。
「忸怩たる」遠藤先生の中国語も今月いっぱい。

ことば、ことば。私にとって「ことば」とは何だろう、と考える。本を読めることはやはり、私の人生において良かった、と思うことのひとつだ。「本を読む」と言うことが、ある意味習慣によって身につけられる能力のひとつだと認識したのは大学の時だったか。一般人において(天才は省く)は、それは資質と言うより絶対、習慣なのだ。私が「ことば」を愛するのは、本の中にあることばの美しさにふれるからだと思う。美しく正しい文章や言い回しは私をうっとりさせる、そうして、醜悪な文章にふれると怒りが湧いてしまう。私自身が日々、間違ったことばをつむぎだしていると言うのに。