辛丑/曇り

尾籠な話ですが」と言うのは一般によく使われる言葉なのかどうか。
と言うのも、この言葉を先日相互学習をやっているシュエフォンに教えたと日本人の友達に話していたところ、その場に居た人が誰一人この言葉自体を知らないので私は内心驚いたわけである。そうか、若い娘達はこんな爺むさい(?)言葉は知らなくて当然なのだ。
それで、一体私がどうしてそんな言葉を教えたかと言えば、もちろんシュエフォンに尾籠な話をするためであった。尾籠と言うか、ただ単に、私が単に話しづらい内容だったのだけど。(そんなんだから潔癖だとか純粋だとか勘違いされるのだ)
夏になって留学生達の間で「聞いてはいたが・・・!」とひとしきり話題にあがっていたのが、『中国女性の腋下自然体問題』である。(思わず遠回しに書いてしまった)私が最初に見た腋下は相互学習をやっている子で「ノースリーブなのに!!」と激しく動揺してしまった、と言うのを日本人の友達に話すと、皆も同様に感じていたらしく、しばし議論となった。一体彼女達自身はどう考えているのか、そして男子はそれについてどう思っているのか。
フランス人も自然体だと聞くが欧米人ならまだしも、黒髪の東洋人はやはり目立つのだ。この問題の実情を解明すべく、シュエフォンに「尾籠な話ですが」となったのである。さすがに女子には聞けないと思って、何でも言える彼に言う事にしたのだ。
結局は彼もそんなことは気にした事が無い、大体人の腋下なんて見る機会ないじゃん!と言う。いやね・・・見ようとしなくても見えるでしょう、バスに乗っている時とか。恐らく目に入っていても自然なので意識しないのだろう。私達にとっては異常な現象なので、目に入った瞬間意識してしまうのだ。それはそれとして、彼が日本語メモ帳にいそいそと、覚えたばかりの「びろう/わきげ」と書いて大きな声で復唱するのには参った。
そして今日、精読の授業中にどういうきっかけでだったかまさにこの話題となり、詳しい事情を知る事ができたのである。先生は大学時代、外国人の先生に教えられて初めて、腋下をそのままにしておくのは失礼であると知ってそれ以来処理する様になったそうだ。元々中国は、髪の毛でもなんでも「毛」を自由に切ったり剃ったりする事は出来ないと言う伝統があるらしい。改革開放以後、どどっと外国の文化も流れ込んで来ているものの、やはり今も一般の人は認知していないので、先生も出来るだけ周りの若い人達を啓蒙しているとのこと。「あなた達も、若い中国人の友達に教えてあげなさい、もちろん婉曲に」と言われた。でも、なかなか言えないよなー。